私を変えた1960年代〜浮遊する個人〜
■講師/内山 節氏(哲学者)

1960年代・・・といえば、多くの人が何らかの形で思い入れのある年代なのでは。
新幹線の開通・東京オリンピック・東名高速道路等、日本が目覚しい発展をして、急速に現代っぽくなった時代だったはず。
講義の背景はこの時代でした。
1958年からお話は始まりました。
私の頭の中は映画「ALWAYS 3丁目の夕日」の色で先生のお話が物語となっていました。
お知り合いがはじめて買った車が中古車の「霊柩車」だった話。
今なら、「変な人」と言われる話も、その時代だとほんわかと笑える。
テレビで見た、アメリカドラマで受けたカルチャーショック。
日本がそんなに急速にアメリカの生活に追いつくとはとても思えなかった時代だったそうです。
話は本日のメイン「キツネの物語」へ
先生は、釣が好きでよく釣に出かけたそうです。
それも、上流を目指すのではなく里に流れる川で、里の人との交流も楽しみの一つとして。
その中で、「キツネ」の話が出てきたそうです。
きのこ狩りで岩場を登る時、先に岩に上げたお弁当を盗まれたとか、自転車で魚を買いに行った帰りに
ペダルが重たくなり自転車から降りて原因を探してみても何も問題が無く、乗ってみるとペダルは軽くなっている。
家に着いて、魚がなくなっていることに気付くというお話。
キツネが旅人に変身して、村の人をだますお話。
昔話の世界が頭いっぱいに広がり、子供のように楽しんで聞きいってしまいました。
このキツネの話に引き込まれるのは、全くの作り話でもなさそうな、不思議な魅力があるのだとも思いました。
ところが、こんなキツネ被害の楽しいお話は1965年を境にぴたっと無くなったというのです。
1965年って・・・。
まさに、カレッジスタッフの多くはこの辺りに生まれているはず。
「なんで?なんで1965年なの?」 多くの人がそう思ったのでは?
そして、そう思って考えることが大切なのだと先生はおっしゃいました。
民俗学でも、科学でもないこれが哲学なんでしょうか?
いろんな説がある中で、一説はテレビ、電話、自動車等の普及が、人間のコミュニケーションの変化をもたらし、さらに人間と自然とのコミュニケーションにも変化をもたらしたのでは
ないかというのです。
人から人へ口と耳で伝わってきた話は、伝言ゲームのように最後の方は元の話からだいぶ変わってしまうという時代から、電波を通して確かな情報が画面を通して映像付で伝わる。
すると人は、テレビ画面で見て現実を理解するので、想像すると言う事をしなくなる。
そして、物事を合理的に考えるようになって行った。
電話で、用件だけを話して終わる。するとコミュニケーションが乏しくなる。
先生は、村で夜人が訪ねて来て、重要な用事でなくても家に上がりこんで話をしていく。
このことを「奥ゆかしい情報伝達」と表現しました。
こういった、何ともゆったりとしたコミュニケーションが電話のおかげで激減してしまった。
村では、年中行事がたくさんあり、伝統として当たり前のように伝えてきた。
今ではその数もかなり減ったらしい。
この辺りも、原因の一つ。
奥ゆかしい情報伝達も、地域の伝統行事も1965年生まれの私にも理解できます。
掛川という街は、わりと長く「豊かさ」のある街だったのではないかと思えました。
1960年以前は、「どうやってこの地域で一人前として生活していくか」という教育が、家はもちろん学校、地域でされていた。
ところが、1960年代以降の教育は全く変わった。学校教育は「進学」の為の物になり、進学の為に地域の人は「がんばれよ」くらいしか言えなくなっていった。
地域重視から個人重視に変って行った。
1960年代以前は、人々は先祖や自然を神として、神々に包まれて生活をしていた、キツネはその包まれている世界に生きていた。
しかし、1960年代以降はそれらがなくなり、無防備(裸)で生活しているようになった。
時代が大きく変わり、人間も大きく変わった。
建物は「団欒のある家」から「まかない付 1ルームマンション」になり、家族まで変化していった。
社会からは物語が消えた。
そこで、「豊かさ」ってなんだろう・・・?と気付くのでは。
今、私達は物にあふれた世の中で、なに不自由なく暮らしている。でも「豊か」だと思えているのだろうか?
宮沢賢治の世界に心惹かれたり、「ALWAYS 3丁目の夕日」という映画に涙したりするのは、本当の「豊かさ」を人間の本能として多くの人が求めているのではないのだろうか?
でも、どうすればいいのかと考えれば考えるほど空しい現代に見えてしまうジレンマを抱えているのでは?
昔を懐かしく思い、思いを募らせる機会を与えてくれているのは・・・もしかすると「キツネ」の仕業?