Nippon学は、日本人でありながら以外と知らない和の文化を、「食」「装」「書」「酒」「芸」という五つのテーマを切り口に、日本の格好良さ・洗練された美しさにぐっと迫るというもの。各回講師が変わるのもNippon学の特徴です。
第1回目「Nipponの食 −土鍋でごはんを炊く」の講師は、長坂潔曉(ながさか きよあき)さん。静岡市でお米屋さんを営む、五ッ星お米マイスターです。長坂さんの土鍋炊飯ワークショップは炊事場だけに留まらず、好評だった前回に加えて今回は、「平成スローライフ検地」と題した田んぼでのフィールドワークが組み込まれました。会場となったのは、掛川市内から北上した西郷地区滝の谷(たきのや)集落、刈り取られた稲がはざ掛けになり、柿が実る美しい里山です。滝の谷公民館は、分り難い場所でしたが、受講生は土鍋やお米を持参し集まってくれました。
Nippon学の受講生は全12名です。内、今回は9名が出席です。
9:30 Nippon学開始にあたり、まずはスタッフ紹介とNPO井村代表の挨拶、そして受講生にも自己紹介をして頂きました。
そして講座「Nipponの食 −土鍋でごはんを炊く」の開始です。
さあ、いよいよ土鍋炊飯です。研いだお米をザルに上げ、水をきったら容量を測ります。同量の水を土鍋に入れ、一気に強火で加熱し湯気が上がったら、そこからさらに5分加熱。火を止め、蒸らしを20分、それぞれに美味しいご飯が炊き上がりました。
―本当に美味しいお米は7表平均で作られたお米です。
収量を多くするあまり、海外から莫大な輸送費を掛けてやってくる化学肥料に頼っている現代農業の中で、私達は本当に美味しいお米を食べられなくなっている。私が最近面白く読んでいる本に、化学肥料など使わない江戸時代の優れたリサイクル文化が書かれています。―そもそも、日本の稲作文化は愛なのです。9月、初めて刈り取られた稲を神様に奉納する神嘗祭(かんなめさい)と、総ての民に今年もお米は行き渡った事を慶び、神様と天皇が最後にそれを口にされる11月23日の新嘗祭(にいなめさい)は、2000年もの歴史が有ります。そうして私達は神様に守られ、国に守られ、地域に守られ、家族と共に働いてきた。今、勤労感謝の日となった11月23日には、そんな意味がある事を思い出して欲しい−。
と長坂さんは熱く語って下さいました。
長坂潔曉さんのご紹介はこちら
http://www.tokai.or.jp/ankome/


平成6年、後に平成米騒動なんて呼ばれたあの時、多くの人々が半ば集団ヒステリー状態に陥ってしまった渦中にいて、「なぜこんなことになるのか?」そんな疑問がきっかけで米に関する様々を調べ始めるきっかけだったと思います。
その答えの一つとして、「稲(米)とはこの列島に住む我々の先祖にとって国という概念を想起させるきっかけとなったエネルギー源だった」ということに気がついたのでした。
一粒で700から800倍(現代)にもなるほど、同時代の他の穀物とは比べものにならない高い収穫倍率、毎年同じ圃場で栽培しても連作障害のないこと、長期保存ができる優秀さ、その夢のような穀物が莫大な余剰を生み、社会を作り、ルールを生み、文化を作り、歴史を作り、この列島に国を作ってきたのです。それが稲(米)です。
しかしそれは、極端な豊作凶作という、じつにコントロールの難しい問題も孕んでいます。歴史的に見て政の中心は常に農政だったことはその証拠です。これは今でも変わりません。
そんな国づくりの最初期の頃、古の人々のスピリットを感じることができるのが、伊勢神宮です。式年遷宮はなぜ20年に一回なのか?様々な説がありますが、律令時代にあった「糒(ほしい)の20年貯蔵年限」という米に関わる数字の一致も可能性があります。
また二千年来休むことなくずっと行われているという神嘗祭、新嘗祭は太陽への感謝と、むこう一年間の生活保障に対する安堵の気持ち、それらすべて得ることができたことへの感謝の表明に見ることができるのです。
現代人の多くのは、そういうことの諸々を忘れても日々の生活には困らないくらい社会は豊かになりました。しかしそれは地球が何億年もかけて固着化した太陽エネルギー(化石エネルギー)によって支えられた社会だということも忘れてはならないのです。
「稲によって社会を支える」それを代々やってきた多くの無名の先人たちに思いを馳せる時、そこに「愛情」を感じせざるをえません。
「瑞穂のくに」と呼ばれる理由のひとつとしてこんな風に考えているわけです。
すいません。また長くなってしまった(涙)
秋の稲刈りの後の株のイレギュラーが最高に盛り上がるサッカーに興じていた息子の顔が目に浮かびました。
食べる事や、それにつながる事に、きちんと感じる心を持っていたいと思いました。ありがとうございました。